聞いてくれる相手がいない話

ブログを書こう、自分のことを言葉にしよう、と思って最初の記事を書いてからもう何日も経過してしまった。

 

話し手にまわるのにこんなに心理的障壁があるものか、とびっくりしている。

 

若い時と違って、自分のことを話すことに恥ずかしさがあるわけではない。

 

ただ、ただ、ここ何年も聞き役に徹して生きてきすぎて、

役割もなく、聞き役がいない場で自分のことを話すことが難しいのだ。

 

カウンセリングの場では、カウンセラーさんが聞き役、私が自分の話をする役、という役割分担ができていて、金銭を支払っているという前提もあり、なんとか言葉を絞り出すことができる。

 

だけど、普段の生活では、私に興味を持って話を引き出してくれることも、思いついて口からこぼれた話を否定せずにただただ聞いてくれることもなくなってしまっていて。

 

そういう生活に限界を感じて、自分から変えていこう、周りの人が聞いてくれなくてもSNSにでも書き出せばいいじゃないか、という思いから始めたブログなのだけれど。

 

ちょっとずつ練習していくしかないですね。

 

 

わたしには何ができるのか(わたしはどう生きる?)

年が明けて、自分の中に意欲を見つけられない。

 

YouTubeもテレビ番組も、推しのインスタグラムも心を潤してくれなくなった。ときめかない、ワクワクしない、面白くない。

 

「終わりの始まり」という感覚がある。それは私の個人的なライフステージでの話でもあるし、なにかもっと全体的な大きな存在の話でもある気がしている。

 

これがしたい、という意欲が沸かないので、代わりに自分に何ができるだろうということを考える。

 

役立たずとして生きてきた。大したスキルもない。ただ日常をやり過ごす才能しかない。

 

でもおそらく、こんな私にも何かしらの能力があったはずで、

それは過去を振り返ると、子供時代に自ずと潰してきてしまった能力で、

そいつをどうにか、奥底から引っ張り出して修理してみるしかないような。

 

そうやって、捨ててきたものを再び拾い集めながら、

今までの自分のすべてを使ってこれからは生きていかなければならない気がしている。